人間のすべての活動の抽象的表現など人間のすべての活動の抽象的表現など(ひとことでいえば、「心脳活動、あるいは、非肉体的活動」と「肉体的活動」など) 人間の活動を、形而上的なもの(範疇)と形而下的なもの(範疇)に分ける。 前者は、ひとことで言えば、心(定義は、メモ;質の科学・意識とクオリア・心脳問題の基礎、にあります)での情報処理のようなものと、生体維持のための情報処理のようなものである。 後者は、ひとことで言えば、肉体の活動、肉体の活動によるもの、であるが、それは、心がコントロールしている。 ただし、外界から何らかの働きかけを受けることにおいては、自分の心がそのコントロールに参加できるケース(こうすれば、あの人はこうするだろう、その結果そうなった、などです)と、参加できないケース(直前において、そうならなかった、とか、全然予期しない働きかけを受ける、などです)がある。 そこにおいて、前者が後者を制御している(直前の記述の中に、そこから外れる例があることがわかります)。 以上の記述を基に、人間の活動を、「形而上的な活動」と「形而下的な活動」のふたつに分け、そう名付けます。 さて、 人間は体験や言動によって、外界から情報を受ける(と表現します。それは非常に多くの内容をもつ。具体的にはそのうち記します)。 注)体験や言動において、自分から情報を出す(と表現します。それは非常に多くの内容をもつ)こともやっているし、それら受けることと出すことにおいて、脳などの中でそれらが交錯した処理がなされていて非常に複雑であって、そこまで踏み込んで研究するのは、難しいので、出す方については別に論じます。 対象からの情報を受ける、という実態もそこに含める(たとえば、景色を眺める、など)。 皮膚感覚などによる感覚情報もそこに含める。 それら情報は、感覚器官などで受け、感覚器官などがそれら情報をなんらかに処理・変換し、脳に送り込む。 つまり、体験や言動(の情報)は、なんらかに情報処理・変換され、脳に送り込まれる。 脳の中では、それら情報たちはなんらかに処理され、さらに変換され、意識の器に送り込まれる。 注)ここでの「意識の器」の定義は、この次の、注)にあります。 そこにおいて、それら体験や言動は意識し味わわれる。 注)ここでの「意識」というのは、私の投稿「メモ;質の科学・意識とクオリア・心脳問題の基礎1~X(最新です)」にある、 「定義1;医学的に、意識がある、という場合の意識、にもっとも近く、意識し味わうだけの性質・機能であって、人間において一生変化しないものであって、例えれば、コンピューターのモニタの機能に似ている意識。 意識の器(ハードウェア)はモニタで例えられる。 これは要検証。」 の意識です。 それは、それら体験・言動の写像を意識し味わっているように見える。 そこで課題として、対象・体験・言動そのものとはいったい何だろう、対象・体験・言動の本質的情報とはいったい何だろう、それらと既述の写像との関係はどうなっているのだろう、などというものがでてきます。 注)「それら体験・言動の写像」というのは、「意識内容」に等しく、それは、私の投稿「メモ;質の科学・意識とクオリア・心脳問題の基礎1~X(最新です)」にある、 「意識内容の定義2;なんらかのエネルギーに伴われる波動パターン・変化していく波動パターン。 これは、意識内容のハードウェアの定義2に(と)同じ。 意識内容の定義3;なんらかのエネルギーに伴われる波動パターン・変化していく波動パターンの内容。」 の「意識内容」です。 対象のない情報というものもありそうです。 たとえば、皮膚感覚の情報など。 それらを順に研究していくのは、非常に難しいので、まずは取り組みやすいものから追求していきます。 以上のような方面にも挑戦していきたいと思っています。 (時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 それらの無断利用を禁じます。 宇宙人がでました(?) ジャンル別一覧
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